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装置をつけたまま放置…ある男性を襲った悲劇と教訓
都内のデザイン事務所で働く田中さん(仮名・32歳)は、かつて歯列矯正に夢を抱いていた一人だった。しかし、治療開始から一年が過ぎた頃、多忙なプロジェクトと、調整後の痛みに心が折れ、彼は担当医に連絡することなく、クリニックから足が遠のいてしまった。「そのうちまた行けばいい」。そう思ったまま、気づけば三年もの歳月が流れていた。彼の口の中では、ブラケットとワイヤーが、まるで廃墟の鉄骨のように、静かに、しかし確実に歯を蝕んでいた。最初の異変は、ワイヤーの端が外れ、頬の内側を絶えず傷つけるようになったことだった。口内炎が絶えず、食事のたびに激痛が走る。それでも彼は、歯科医院に行くのが億劫で、ワイヤーを自分で曲げようとするなど、その場しのぎでごまかし続けた。本当の悲劇が明らかになったのは、ある朝、前歯に耐え難い痛みを感じ、観念して近所の歯科医院に駆け込んだ時だった。レントゲン写真を見た歯科医師の表情が、みるみるうちに険しくなっていく。診断結果は、田中さんを絶望の淵に突き落とした。放置されたブラケットの周りには、分厚い歯垢と歯石がこびりつき、その下では複数の歯が重度の虫歯になっていた。特に、痛みを感じた前歯は、神経にまで達しており、抜歯せざるを得ない状態だった。さらに恐ろしいことに、専門家の管理を離れたワイヤーは、意図しない力を歯に加え続け、彼の歯並びを治療前よりも複雑で、不規則な状態に変えてしまっていたのだ。噛み合わせは完全に崩壊し、顎の痛みまで引き起こしていた。田中さんが、かつて理想の笑顔のために支払った治療費は、全て無駄になった。それどころか、失った歯を取り戻すためのインプラント治療と、崩壊した歯並びを治すための再矯正治療に、彼はこれからさらに莫大な費用と時間を費やさなければならない。彼の物語は、私たちに重い教訓を突きつける。歯列矯正装置は、専門家の厳格な管理下においてのみ、安全で有効な医療器具である。自己判断で治療を中断し、装置を放置する行為は、口の中に時限爆弾を仕掛けるのと同じなのだ。どんな理由があれ、行かなくなったその先に、決して明るい未来は待っていない。