歯列矯正治療が数ヶ月から数年という長い期間を要するのはなぜでしょうか。その理由は、歯が動く基本的なしくみと、安全かつ確実に歯を移動させるための生理的な限界にあります。前述の通り、歯の移動は、歯根膜を介した歯槽骨の吸収と添加という骨代謝(リモデリング)によって起こります。この骨の代謝は、非常にゆっくりとしたプロセスです。無理に強い力をかけて歯を急速に動かそうとすると、歯根膜に過度な炎症が生じたり、血流が途絶えたりして、細胞の正常な働きが阻害されてしまいます。その結果、歯根が短くなる「歯根吸収」や、歯肉が退縮する「歯肉退縮」、最悪の場合は歯の神経が死んでしまう「失活」といった、望ましくない副作用を引き起こすリスクが高まります。安全に歯を移動させるためには、歯根膜や歯周組織が健康な状態を保ちながら、生理的な範囲内で骨の改造が行われるように、適切な強さの力を継続的に加える必要があるのです。一般的に、歯が1ヶ月に移動できる距離は、0.5mmから1mm程度とされています。これは、破骨細胞による骨吸収と骨芽細胞による骨添加のスピードが、この程度であるためです。例えば、5mm歯を移動させる必要がある場合、単純計算でも5ヶ月から10ヶ月かかることになります。実際には、個々の歯を三次元的にコントロールし、歯並び全体のアーチ形態を整え、さらには上下の歯の噛み合わせを緊密に仕上げていく必要があるため、治療期間はさらに長くなります。また、治療の段階によっても歯の動きやすさは異なります。初期の段階では比較的早く動くように感じられても、歯が密集している部分や、大きくねじれている歯を動かすには時間がかかることがあります。さらに、治療期間中には、装置の調整や、顎間ゴムの使用など、患者さん自身の協力が不可欠な期間もあり、これらがスムーズに進まないと治療期間が延長する可能性もあります。そして、矯正装置が外れた後も、歯が元の位置に戻ろうとする「後戻り」を防ぐための保定期間が必要です。この保定期間も、治療の一環として非常に重要であり、数年間続くことが一般的です。このように、歯列矯正治療に時間がかかるのは、体の自然な治癒力を利用し、安全かつ確実に美しい歯並びと健康的な噛み合わせを確立するための必然と言えるのです。
なぜ矯正治療は時間がかかる?歯が動くしくみと期間の関係