歯列矯正の調整日から三日後、痛みがピークに達した朝、私はスマートフォンのカレンダーを開き、来月の予約を削除した。仕事の繁忙期と重なり、心身ともに疲れ果てていた私にとって、あの締め付けられる痛みと、通院の義務感は、耐え難い重荷だった。「少しだけ休もう」。そのはずが、私の「少し」は、気づけば二年という月日になっていた。装置をつけたまま通院をやめた最初の数ヶ月は、正直、天国だった。痛みのない生活、好きなものを気にせず食べられる喜び。しかし、半年が過ぎた頃から、私の口の中では静かな異変が起こり始めていた。綺麗に並びかけていた下の前歯が、また少し重なって見える。そして、食事の時に、奥歯の噛み合わせに違和感を覚えるようになったのだ。気のせいだと思いたかった。でも、現実は残酷だった。一年が経つ頃には、後戻りは誰の目にも明らかになり、さらに悪いことに、ワイヤーの一部が緩んで、食事のたびに頬の内側を引っ掻くようになった。鏡を見るのが嫌になった。笑う時には、必ず手で口元を隠した。何より辛かったのは、中途半端に装置をつけたままの自分の姿に対する自己嫌悪と、決して安くはなかった治療費を無駄にしてしまったという、どうしようもない後悔だった。そんな私を見かねた親友が、ある日こう言った。「後悔してるなら、もう一回チャレンジしてみれば?今ならまだ間に合うかもしれないよ」。その言葉に、私は背中を押された。震える手で、以前とは別の矯正歯科にカウンセリングの予約を入れた。新しい先生は、私の口の中を診て、叱るでもなく、ただ静かに言った。「大変でしたね。でも、また頑張ろうと思ったその勇気が素晴らしいです。一緒に、今度こそ最後までやり遂げましょう」。その言葉に、私は涙が止まらなかった。再治療には、追加の費用も、時間もかかる。でも、今度の私は、もう逃げないと決めた。中断という遠回りは、私に治療の本当の大切さと、やり直す勇気を教えてくれた。